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LEADERSリーダーズ前篇後篇・LEADERSⅡ観ました。大きな夢が現実に・感動しました。

  

 

ずいぶん前に録っていたLEADERSリーダーズというドラマ、
前篇、後篇、ひとつが約2時間半の長い長いもの、
やっと観ることができました。

 

リーダーズ前篇、後篇
TOYOTAの会社ができるまでの、大きな夢の物語。
創業者の豊田喜一郎がモデルの愛知佐一郎を佐藤浩一が演じました。
まだ日本の道路が土で、今のようにきれいでは無い時代、
車というものは輸入があたりまえの戦前、1929年(昭和4年)から。

「輸入車にたよらない。すべて国産車でつくった車が、
日本のハイウエイを走るのが見たい。」

今はあたりまえになっているこの時代のきっかけをつくったのは、
愛知佐一郎にほかならない。
「国産車が走るようになればこの日本は豊かになる。」

佐一郎は愛知自動織機製作所という大きな会社をやっていたから、
車をつくることができたことであって、まったくなにも無い、
お金もそんなに無い人だったらきっとそこまではできなかっただろうなと思うんですよ。

輸入車を解体して、ひとつひとつの部品にタグをつけて、
すべてを国産で一からつくっていくんです。
それはそれは、大変な作業ですよ。
当時それを考える人はいなかったと思うんです。
考えることはできても、実現させられるひとは、
佐一郎しかいなかった。
佐一郎の人となり、人脈、人を大切に思う人間だからこそ成し遂げられたことだと思います。

たくさんの努力、そして戦争があって、
大切な社員も戦死した人もいます。
物資も無くなる。
それでも夢をあきらめず、佐一郎は突き進みますが、
不況になって主流のトラックが売れなくなります。
売れなくなると資金が底をつくので、
社員への給料も払えなくなる。
佐一郎は人を大事に考える男なので人員削減はしたくないけど、
そのままだと会社はつぶれる。

メインバンク3つへの借入の嘆願。主のメインバンクから断られる。
大事な経理のものが疲労で倒れ死んでしまう。
どうやってしのいだか。その話の動きが、
たぶん実話をもとにされているんでしょうけど、
とても大変なことをたくさん乗り越えていきます。
社員のストライキもありました。
佐一郎の人脈のなかで、日銀を動かすことなりますが、
経理再建は日銀が握ることになり、
佐一郎はここで身を引きます。1950年、佐一郎55歳。
そして亡くなったのは1952年、57歳。
1933年、39歳の時に自動車部を作って、
たった18年のことです。

愛知佐一郎に佐藤浩一。
その妻に山口智子。良い妻を演じました。
カフェの店員から旅館の女将に宮沢りえ。大事な役どころでした。
日銀の名古屋支店長に香川照之。
戦争に行って戦死してしまう社員、清吉にえなりかずき。
その奥さんにあっちゃん。
どの役者さんもすばらしいです。

LEADERSⅡ
リーダーズから3年後の2017年3月に放送されました。
続きというよりは、前篇後篇をさらに深く詳しく、
映像を間にいれながらできていたドラマでした。

実際、トラックをどう売ったのか。
販売店はどうしたか。
輸入車を売ることが主流の時代に、
まだつくられて間もない、壊れやすい国産車を売って行く、
これまた壮大な夢のドラマです。

リーダーズを観て、結果がわかっているのに、
まだ生きているころの佐一郎がトヨタの最初の車AA型が、
道で故障して直しているところ、最初のほうのシーンで、
佐一郎がいう言葉に、涙がでてきて止まりませんでした。

「いつの日か、一家に一台、誰もが乗用車を持つ時代がくると思ってる。
この車はそのための第一歩なんだよ!
輸入車にたよらない。国産車を作るんだ。
あなたは夢を売ってると言った。私はね、夢を作ってるんだよ!」
愛知にあるゼネラルモーターズ(GM)車販売店「日の出モータース」の支配人、
山崎亘(内野聖陽)と会った時のシーンです。

この時代、車は壊れやすいもの。
それをどうやってお客様に買っていただくか。
どうやって修理していったか。
実際にあったであろう話がドラマになっています。

長いドラマですが、時間があればあっという間に見えるほど面白く描かれていまして、
すごいなと思います。
若葉自動車、今の日産や、坂田ガレージ、今のヤナセが出てきます。
若葉自動車の社員に大泉洋。
坂田ガレージはこのドラマで初めての悪役をする郷ひろみ。
後にアイチ5人衆(トヨタ5人衆)となる人たち。

このドラマを見て、トヨタという会社は今でもオーナーディーラーが多いのが良くわかりました。
(高知県だったら西山グループだったり山口トヨタだったり。)
トヨタという会社はなんという歴史を進んできた会社なんだろうか。
トヨタが最初に国産車を作らなかったら、この今の時代ははたして来てるのかどうか。

みんなが18歳になったらあたりまえに免許をとりに行って、
若い子でも車を買って、
一家に一台というより、1人に1台持つことができます。
昭和の初め土が多かった道路はセメントになり、アスファルトになり。
2車線、3車線になり、高速ができ。

車ができたことによって農家が野菜を運び、漁業が魚を運び、
流通が盛んになって。
人が車に乗り仕事が増え、旅行もできて。
車検制度ができて陸運局ができて。
とか、

この当たり前の世の中は、国産車ができたことにより、
日本は発展して豊かになっています。
豊田喜一郎さんが願っていた夢は今の時代と同じかどうかはわからないですが、
この時代のきっかけを作りだしたのは、
TOYOTAを作った豊田喜一郎さんがいたからだと言えます。

大きな長い長い物語。
行けるなら、TOYOTA博物館に行ってみたいです。

付け加えて話せば、このドラマが終わった時代から、
豊田喜一郎さんが望んだ、日本にぴったりの小型車、トヨタ・カローラが爆発して売れて、
その後、マツダのファミリアが一斉を風靡するわけです。
そして、三菱ミラージュへと続いていきました。
今は軽自動車のシェアが大きくなっています。

自動車販売修理の会社で仕事しているから、本当にこのドラマに感動しました。
車の仕事をしてる人は、ぜひ、観てみてください。
車に対する思いがたぶん、がらりと変わるはずです。

 

  

 

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